溝江達英【公式】

物となって見、物となって行ふ

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このブログを読んで、物となって見、物となって行ふという意味を深く考えてみました。
http://www.noos.ne.jp/cavesyndrome/?p=5501

言語学的に寄せてこのブログを読み直すと、
英語でも見るという言葉に対して、SEEとWATCHの行為があるのに思いをはせました。

SEEは心で見て、WATCHは目で見ると区別するようです。

心で見るとはまさに、目をつぶっていても見える世界です。
遠くにすむ田舎の母親の顔は目をつぶっていても浮かんできます。(seeの世界)

目の前のハエは目をつぶれば消えます。(watchの世界)

記号がある世界では、観る(心で)、見る(実際の目で)と分けてみたり都合よく区分できます。

ただ記号を通さず、心の動きを純粋に捉えようとすると、以下のように考えられます。

天に近づこうとすればするほど絶対的な距離が広がるのだが、かといって、天と自分が絶対的に乖離して対立しているわけではなく、
むしろ、距離があればあるほど、自分が天の一部であることがより思い知らされる。絶対矛盾的自己同一が認識されます。

離れていて違うものだと思われるものこそ、実は同じなのではという思いに至ります。

こう考えると、般若心経の色即是空、空即是色になります。

空は青く見えるけど、空気ですから、元来は無色です。
青く見える空も、無色の空気も、結局は空ですから同じものです。

見えるものも見えないものも結局は同じものという結論です。

記号が観念を分けているように思えていても、実は本来的には同じことだったりもするのかも知れないです。
記号の識別だけを信じてはいけないことを悟らせてくれます。

ということは、言語という記号体系が違ったと見えたとしても、
英語でも日本語でも同じ概念を共有しているならば、怖がらず外国語も日本語から出発してできると考えています。

 






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Dr.Tatsuhide Mizoe

溝江達英

言語をこよなく愛し、学んだ外国語は20ヶ国語以上にも上る国際言語学者。カナダ・ラヴァル大学にて、講義をフランス語で行い、受け持つ授業は北米最多クラスの年間270コマ超の、超人気の言語学教官として活躍中。

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